言葉

言葉って、難しいし、怖いなあ。と思うことがあります。
「口と腹」という表現がある通り、言葉って必ずしもその人の本心や真実を述べるわけではないんですよね。

先日、親友が帯状疱疹を発症してしまい、
病院で抗ウイルス剤を処方されたと言っていました。

「帯状疱疹は疲れとかストレスがトリガーになることが多いみたいだね。」
と言いましたら
会社での、人との関わり合いで、とても嫌なことがあった、と教えてくれました。

東京本社のとある女性社員は、親友のことをとても慕っていていつもいろんな場面で親友を持ち上げような発言をしてくれる人だったみたいです。
仕事だけの関わりであったとはいえ、
親友もその女性のことを信頼していたのだそうです。

会社全体で業務改善、利益率の見直しという流れになった際に、
利益率のあんまり良くない地方の事務所を撤廃するような流れになったことがあったそうで、
親友や親友の上司は自分の勤める事務所が撤廃にならないように色々改善案を提案して
ただでさえハードな仕事の状況だったけど、さらに業務を請け負うという提案をして頑張ったのだそうです。
事務所撤廃、となったらその事務所に勤務している人たちはみんな東京に転勤という形になり、
それを断れば解雇、という図式だったみたいです。

で、結局親友の勤める事務所は存続ということになったのだそうです。

私は今までの人生で会社員だったことがあんまりないので、
ちゃんと理解しているかどうかは疑問ですが、
それでも「とても大変なことだ。」ということと、
「撤廃を免れて本当によかった」ということはわかりました。

「よかったね。これからも安心して働けるね。」
と
私は思っていました。

が。

本社の件の女性社員、
親友のことをとても持ち上げて慕っているような態度をとっていたその人が
実は
「函館事務所なんて廃止になればよかったのに、現地採用社員なんてクビになればいいだけの話でしょ?」
的な内容の発言をしていたということが
人伝で伝わってきたのだそうです。

これは傷つきますよね。

大枠の話しか私は理解していませんが
親友の上司が大激怒していたという話なので、
おそらくもっとエグい内容の何かしらの何かしらがあったのだろうなあと想像します。

表面上では
「あなたを慕っていますよ。」と発言しておきながら
内心は「クビになればいいのに」と思っているっていうことですよね。

この話を聞いて、私は
「現代社会っぽいな。そして東京っぽいな。」
と感じました。

小学生の頃に国語の教科書に載っていた「蜘蛛の糸」みたいだなあ。
と思いました。
自分さえ良ければ、他の人たちがどうなっても知ったこっちゃない。
なんなら、
自分以外の人は、自分が幸せになる(利益を得る)ための重荷になってくれるな。
的な、
利己主義ですね。

でもその本社の女性社員は
自分が悪者になりたくない、
というかそんな風に考えている人であると周囲から認識されたくなくて、
口では良いような事を発言しているのでしょうね。

言葉を持つ我々は嘘をつくことができます。
地球上の生物で、
本心とは別のことを相手に伝えるという「嘘」をつくのって、
人間だけなんじゃないかな?と思います。

あとは言葉で自分以外の他者を自分の思い通りに管理支配操縦しようとします。

でもね、イメージ操作って、
それをしようとしている人はうまくやれているような気になっているかもしれないけど、
実際はどうなんだろう?と私は思います。

真実と違うイメージ操作って、結局ボロが出るというか。

人の本心って、
言葉じゃなくて行動に現れるので、
どれだけ言葉で取り繕っても、行動が伴わなかったら、
その言葉は虚言であるということになるんじゃないかなあ?と思います。

私はよく「毒舌だ」とか「もっと言葉に気をつけなさい」と言われます。
なので、「思っていても言わないこと」はありますが、
「思ってもいなこと」は言いません。

「なんか立派なことを言わなくちゃ。」
とか、
「自分をあるがままよりもよく見せたい。」
とか、
そんなことは思っていません。

他者を貶めることで自分をよく見せたいという気持ちは
現代の日本社会を生きる人たちが持ってしまいがちなのかもしれません。
いわゆるマウンティングですよね。

でも、
マウンティングして、いっとき相手よりも自分がまさっているかのような気持ちに酔いしれることができても、
そのいっときの気分と、
実態はイコールじゃないですよね。

自分は自分であって、自分自分にしかなれないので、
他者を貶めてみても、他者と競い合ってみても
その本質って変わらないんですよね。

見栄を張ったり、
自分をよく見せようと努力するのって
無駄というか虚しい行為のように私は思います。

なので私は
親友の話す件の本社勤務の女性社員に対して、
「その人、かわいそうだね。」
と発言しました。

実際の自分自身の実像と、
自分が思っているセルフイメージとの間にギャップがあって、
そのギャップを埋めるために一生懸命頑張っているんだけど、
その努力の方向性がちょっとずれているので、
本人自身ももがいているんだろうなあ。と思ったので。

親友も
「その人、周囲からは『あんなんだからあの歳まで結婚できないんだよ』と言われてる」
と言っていました。
これはセクハラ発言なんだろうなあとは思いますが、
口先、小手先のテクニックばっかりじゃなくて
人は意外とその人の行動から本質を見抜いているということなんだろうなあ
とも思いました。

私は団塊ジュニアで、親の価値観は「他者と比べて勝ったか負けたか」が全てで
その価値観を刷り込まれて育ちました。

自分の足りない脳みそで自分なりの価値観とか考え方とかを構築するまでは
色々迷ったり悩んだりしましたが
他者ばっかり見ていては自分の良さに気づくことができないよなあ。
と思うに至りました。

要するにこれが「個性」ってやつですね。

「我五十にして惑わず」とはよく言ったものだなあ。
と思います。

自分をよく見せようとしてあれこれ努力するよりも、
自分のいいところを自分で認めてそこを伸ばす努力をする方が
きっと何倍も楽しいんじゃないかな。

と、私は思います。

嘘をつくことができるけど、
嘘をつかないという選択肢もあるんじゃないかなと私は思っています。

投稿者: wildberryshopblog

Wildberryという生地のネットショップの店主です。

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