お洋服(衣食住の衣)

オットは気に入ったもの、好きな物しか着ません。
お洋服の枚数が多くても少なくても、
好きなものだけ選んで着ます。

それが流行っていようがいるまいが、
そういう価値観では判断しません。

それを着た自分がいい気分でいられるかどうか。
それだけがオットの判断基準です。

なので、気がついたら同じ服、同じような組み合わせばっかりになります。


お洋服をたくさん持って、いつも取っ替え引っ替えしなくてはならない。
じゃないとおしゃれじゃない。

みたいな既成概念って日本人には多いのかもしれないなあと思います。

美のカリスマとか、ファッションのカリスマとか、
そういう立ち位置の人になりたいと思っていて、
そこを目指してSNSで日々発信している人は
ひょっとしたらたくさんたくさんお洋服を必要としているかもしれません。

私が最近知り合った人は元アパレルの人でした。
日本のブランドですがパリコレに出るような、
そして知らない人なんかいないっていうぐらいの有名なハイブランド出身の人でした。

その人も、
そんなに激しくお洋服を取っ替え引っ替えしているようには見えませんでした。
そして他者を威圧するような服装ではありませんでした。

小物はその時の気分で変えるけど、
基本的に好きな物しか着ないようで、
お洋服の全体的なイメージはそう大きくは変わらないように見えます。

その人と、今の日本国内のアパレルの現状を嘆き合ったら、
時計の針が勝手にものすごいスピードで回りました。
楽しい話や実のある話をしている時って、時計は必ず意地悪になって
時間をわざと早送りで刻むように思います。

きっと楽しい時間を過ごしている人を見ると、嫉妬するからに違いない。(違います)

日本には昔から、着物っていう文化があって、
それは帯や帯締め、半襟など、小物を変えることで全体の印象を変えて楽しむという
粋な着方でしたよね。

そしてそれらの一つ一つがなかなか高価で、
なのでそう頻繁に買い換えることができなかったので
一つ一つを大事に大事に使ったとも。

着物は普段着であり、財産でもあった、とも。


それが今のアパレル業界はどうだい?
まるで使い捨てみたいに安価なお洋服を人々が買い漁って、
そしてまさに使い捨てられていく。

もしくは価値以上の価格をつけられて、
プライドが高くて見栄っ張りで、
そしてお金をたくさん持っている人だけしか買えないような価格設定で販売されていたり。

「なんかちょっと違和感を感じるよね。」
「そうですよね。」

日頃私が一人でこんな片隅のブログで叫んでいることと
同じことを感じている
とてもよかった時代のアパレル業界の中心的な立ち位置にいた人
しかもその後自力で経済活動をしている人

そんな人に出会えて
なんだかすごく嬉しくなりました。

わ〜この人すごいわ。尊敬せざるを得ないわ。

と思える人との出会いって
別に何らか(金銭とか物質とか利害?)の授受がなくても
なぜかエネルギーをもらえちゃいますね。


古巣の社長に
「こんな人に出会ったよ。」
と知らせたら、
「いい時代のアパレルを知っている人とは会って話してみたいわ。商売の話にならんくても楽しそうや。」
と言っていました。
次に東京に出張するときはもしできたら時間を作りたいと言っていました。
(社長はいつも大忙し)

ワクチン2回接種したとは言っても、
基礎疾患のあるお爺さんだし、
デルタ株怖いし、
緊急事態宣言解除されてないしね。
なのでまだしばらくは東京出張はしないと言っていました。

慎重で賢明だと思います。


「衣食足りて礼節を知る」っていう言葉がある通り、
住がなくても衣食さえ足りていれば人は礼節をわきまえることができるっていうことなんじゃないかなと私は思います。

「足るを知る」という言葉もあります。
これは多分、
山ほど所有する、という意味とは逆で、
必要最低限を持った時に「これで足りる。」という謙虚な気持ちを
推奨する言葉なんじゃないかなと思います。

「まだ足りない、まだ足りない。」
と強欲になってしまう姿は
「千と千尋」のカオナシみたいだなあと思います。

「フランス人は洋服を10枚しか持ってない」的な題名の本が一時期話題になっていました。

私は読んでいません。(え?)

でも、実際にフランス人はそんなにたくさんお洋服を持っていないみたいですね。
(10枚は極端だと思いますが)

でも、
長く着れるような良いものを選んで買うのだそうです。
そしてそれを長く着るのだそうです。
何なら子や孫まで受け継ぐような場合もあるのだそうです。

お洋服は、
自分の好み、生き方、価値観を表現するためのツールであって
決して見栄を張るためのツールではないのでしょうね。

そういえば、気に入って買ったデニムジャケットを着ていたら
「いや〜昔はやったよね!Gジャン!懐かしいわ〜!今時着ている人珍しいよね!」
と言われたことがありました。
今のトレンドじゃない服を着ていた私を馬鹿にしたかったんだろうなあと思います。
マウンティングっていうんでしょうね。
流行りに乗ることが重要という価値観の人だったんでしょうね。

最近また、Gジャン、まあまあ流行っています。
Gジャンはずっとずっと昔から存在するもので、
これからもきっとずっと存在し続けるものなので、
ナウい(死語)もダサいもないと私は思うのですがね。
(今は年齢的にももう少し柔らかくてゆるい感じのものが着たいので、Gジャンは持っていませんが)

私が気に入って買った古着のアバクロのTシャツを見て
「今となってはアバクロはダサい」
と言ってた人みたいな価値観なのかなあ?
(いやどっからどう見ても可愛いでしょうが!と思いましたし今も思っていますが!)

全く同じものなのに
流行っていれば可愛い、流行りが去ったらダサいとか
そういう流動的な価値観に翻弄されるのは、しんどいですよね。多分。

高見え、若見え、綺麗に見える、似合わせ
みたいな言葉が最近の世の中にはたくさん見受けられますが
それに翻弄されると
それを着る当の本人(自分自身ですね)がおざなりになってしまうような気がします。

流行りを追ったりカッコ良く自分を装うことだけが、
アパレル(お洋服)の存在意義ではないんじゃないかなあ?と私は思います。

流行っていないとダメ、格好良くないとダメなんていう価値観の人とは
関わり合うと疲れちゃうので
あんまり関わりたくありません。

そうじゃない価値観の人もこの世の中にはたくさんたくさんいるので
見栄っ張りじゃなくて威圧感やストレスを感じないで済むような
自分が接していて心地よいなあと思える人と仲良くしたいです。

きっとみんなそうですよね。

投稿者: wildberryshopblog

Wildberryという生地のネットショップの店主です。

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