デザインって?

クトゥルフ神話というゲームがあります。
テーブルRPGというらしく、
シナリオに沿ってお話が進んでいくゲームで、
一冊の分厚い本にそれぞれの場合のシナリオが書いてあるみたいです。

ムスメが中学2年生ぐらいの時に、
誕生日プレゼントにそのシナリオ本をリクエストされたので買ってあげました。

分厚い本で、値段もなかなか高かったのを覚えています。

私はゲームはやりませんので、内容については詳しくは知らないのですが、
何やらものすごく内容の濃い、とてもよくできたシナリオらしく、
飽きることなく今も友達数人と一緒にリモートでゲームを楽しんでいるみたいです。

その中の一つの場面(?)の題名を、
ムスメが自分なりにロゴマークをデザインしてみたらしく、
それに対する評価を頼まれました。
若い頃、建築パースを描く仕事をしていたり、
ウェブを作るための素材を作る仕事をしていたり、
看板屋さんで看板ののレイアウトを作る仕事をしていたりした経験があるので
意外とこういうのそんなに難なくできるんです。私。

ムスメはフォントから自作したみたいなので、ここまで作り込むのに、かなり時間がかかったんじゃないかなあと思います。

Illustratorが入ったMacBook Airを持たせているのですが、
「イラレでやったらもっと楽にできるのにって思いながらやった」と言っていましたので
多分、自分のWindowsのパソコンで別のソフトを使って作ったんだろうなあと思います。

仕事上、Mac用のデザインソフトは持っているのでそれをムスメにも与えているのですが、
私がWindowsは一切使っていませんので、ソフト関係は全てマック用になります。

基本的にWindowsを使っているムスメは、無料だったり安価だったりするデザインツールを自力で探して、それを使って頑張っているみたいです。

「このロゴマークどう思う?」
と聞かれましたので、
バランスが悪いなと感じる部分数点を指摘しました。

デザインコンセプト自体は変えずに、
レイアウトのちょっとした変更をアドバイスしてみました。
それを踏まえて4案ぐらい作ったみたいで、
それらを見せてくれました。

4案中3案はかなり精度が上がっていて、
「もうこの先は好みの問題じゃない?」という感じでした。

「一旦保留にして寝て起きて、再度見た時にどれが好きか、で決めたらいいと思うよ。」
と言いましたら
翌日ぐらいに
「寝て起きて改めてみたら、これが一番いいような気がする。」
と言っていました。

すごく小さな修正で、
それこそミリ単位の違いなのですが、
受けるイメージは間違いなく変化します。

同じ枠の中で少し変更しただけなのに、
ロゴマーク自体が大きく見えるし、
主張が強いように感じます。

本当に少しの違いなのですが。

デザインが良くてもレイアウトがイマイチだとなんとなく冴えないし、
レイアウトが良くてもデザインコンセプトがイマイチだとこれまた冴えない。
という状況になってしまいがちです。

どっちも兼ね備えて初めて「良いプロダクト」になるんだろうなあ。と思います。
「デザイン」という言葉を聞くと、「ファッションデザイン」を真っ先に思い浮かべてしまいがちなのではないかな?
と思います。

でも
ファッションじゃないデザインの方が、「デザイン業界」では圧倒的に多いです。

特に今は
アパレル業界の中での分業化(細分化)が進み、
てか、進みすぎていて、
アパレルのデザイナーさんは「絵を描くだけ」のお仕事になりつつあります。

素材のこと、仕様のこと、パターンのことを学んだり理解する暇を与えられないような状況みたいです。

商談の時にデザイナーさんが愚痴をこぼすことが結構あったのですが

上司に「絵を描け」と強要される。
「とにかくなんでも良いから絵を描け。」「我が社がこの先やっていけるかどうかはお前たちがどれだけ絵を描くかにかかっているんだぞ。」
的なことを言われて
その圧がすごくて
「リサーチ(市場調査)行ってきます・・・。」
と言って逃げたことも結構あったらしいです。

それが9年ぐらい前のことだったので、
今はもっと極端になってしまっているのかもしれないなあ。
と思います。
会社の体質によっても違うとは思いますが。
私はグラフィックの分野の仕事でデザインを学び、建築の分野の仕事で平面から立体にする
もしくは逆で立体を思い浮かべてそれを設計図に落とすという概念と想像力を学びました。
アパレル関係者になるためのある特定の学校に行ったわけじゃないし、
型紙を起こす際のセオリーを学んだわけでもないし、
それらに関して何らかの許可(免状とか資格とか)を得たわけでもありません。

そもそもパターンを起こしたり、
製品を作ったりするのに、何らかの免状が必要だなんてことはありません。

Wildberryを立ち上げて
結構早期に2ちゃんねるで叩かれ始めました。
「主婦上がりの素人のくせに儲けやがって」
という感情が強かったのかなと思います。
実際に「素人のくせに」という文言はかなり頻繁に書き込まれていたみたいです。

わざわざ「あなた2ちゃんねるでかなり叩かれていますよ!」と
教えてくれるお客様もいました。

擁護してくれる書き込みもありました。
「生地売ったり型紙売ったりするのに、資格が必要とかいう法律はないし。」
と。
そうしたらその発言をした人が攻撃されるような状況でした。

いじめのシステムですね。
そんな人たちが育てた子供社会に、いじめがなくなるわけありませんね。

私自身に関しても「人としてあり得ない。存在価値がない」という感じの内容まで書かれていました。
「出る杭は打たれるんだね」という発言に対しては
「はあ?何言ってんの?最初っから出てすらいないし。」なんていう反論が繰り広げられていたりもしました。
(一言一句覚えているわけではなありません。私もそんなに暇じゃないし。)

正直ね、
当時Wildberry及び私に対する誹謗中傷的な書き込みをした人に
直接謝ってもらいたいです。

何を根拠にそんなに侮辱されなきゃいけなかったのか、
今でも全く理解できません。

誰だって最初は初心者でしょ?
初心者であることがそんなに責められるべきことなのであれば、
この先の世の中は経済も技術も発展しないと思います。

主婦上がりの素人のくせに儲けやがって

じゃあ主婦は夢を見ちゃいけないんですか?
素人が新たな分野を学ぼうとしちゃいけないんですか?

主婦で素人だった人は起業しちゃいけないんですか?

私は全てNOだと思っています。
2ちゃんねるで書き込んでいた人たちも、結局妬みだったんじゃないかなと思います。
じゃあ、妬みから発したその言動、「ちょっとした意地悪心だったの。」で許されるか。
って言ったら、それは違います。

今からでも良いので、
当時私を叩いていた人、私に謝ってください。

(って言っても絶対に自ら名乗り出てくるわけないと思っていますが。)

Wildberryが生地やパターンの商用利用をNGにしていないのは
そういう経験からくるものなのです。

素人だったからとか
主婦だったからとか
アパレルの学校に行っていなかったからとか
アパレルの仕事をしたことがなかったからとか

だから好きな分野で稼いじゃいけないなんておかしな話だよな。
と思うので。

アパレル関係に繋がる学校なんて
東京と、あとほんの少しだけ大阪にある程度で
他の道府県に住んでいる人にはほとんどチャンスありません。

親の経済力いかんでは東京や大阪に一人暮らしして行かせてもらうことができる場合もあるかもしれませんが
それだって望めば必ず叶うというわけではありません。

じゃあ、親の経済力がなくて、学ぶ機会を得る事ができなかったら好きなことを仕事にしちゃいけないのか?
親の経済力がなかったら自己実現しちゃいけないのか?

となったら
それはNOだと「私は」思っています。

好きこそ物の上手なれ

とか、

習うより慣れろ

という言葉があります。
2ちゃんねるで
1000の書き込みでスレッドが一つ更新するような場所で、
1日に2〜3回スレッドが更新するほどWildberryや他の誰かの悪口を書き込んで喜ぶ時間を
自分の知識や技術やスキルを上げるために使ったら
他人を妬んだり叩いたりしないでいい
もっと満足して日々を過ごせる自分になれるかもしれないのにな。

当時
「そんなに少ししか販売しないのなら最初から売らない方がマシだ」とか
「家に突撃して娘を晒してやろうか?」とか
「衛生観念がなってなくて人としてあり得ないぐらいにだらしない人間だ」とか
言って喜んでいた人。
私に謝ってください。

こちらでお待ちしています。

ちなみにムスメは、
学校の先生から見放されて
「お前には何も期待していないから、コンペの応募作品、勝手に好きなように作ればいい。俺はアドバイスしないぞ。」
と言われて
「そうか、あれこれ言われないなら好きなように作ればいいや。」と
萎縮せずに自由に作った動画作品が
OACという広告業界の大きなコンペで大賞を取りました。
ニューバランスの限定モデルの可愛いスニーカーを副賞として貰いました。
先生に見放された方がいい作品が作れたということは、
先生は生徒の邪魔をしていたっていうことですかね。

指導者のエゴによって子供の可能性を潰すという典型的な例がそこにあったということでしょうね。
実際に先生のお気に入りの生徒はどのコンペでも何一つ受賞なんてしていなかったみたいなので。

高校生の頃でした。

素人のくせに。

そんな決めつけは良くないと私は思います。
可能性は全ての人に平等にあると思います。

どうせ自分なんてダメだって思ったらその時点で自分で自分の可能性を殺しているという事なんじゃないかなと思います。

努力し続けるのは大変ですが、
それが好きな分野のことだったら、
その努力も苦にならないんじゃないかなと思います。

楽して良い思いをするためにお金を払うという行為が現代人には定着しがちですが、
他人の努力とかそれによって培ったメソッドをお金で買っても、
その後それを維持するためにはやっぱり自分が努力する必要があるので、
やっぱり「楽して良い思い」はあり得ない、もしくは長続きしないんじゃないかなと思います。

努力の努の字には女という漢字が使われています。
男性よりも女性の方が
努力するのが得意だということなんじゃないかなと思います。定かではないけど(笑)。

先日のぶっ込みクイズには、
たくさんのエントリーをいただき誠にありがとうございました。

正解は、ユニコーンの「大迷惑」でした。
さすがはユニコーン、「これならわかります!」とか「若い頃すごくよく聴いていました!」というメッセージが沢山添えられていました。

後ほど抽選して、
当選者の方にはメールでご連絡しますね!

一万円札を扇状にするのは「200万円ぐらいまでなら可能です。」
と教えてくださった方もいらっしゃいました。
銀行によってお札を広げるときにやり方も違うみたいですね。
えっ!違うんだ!と新たな事実を知りとっても興味深く思いましたよ。

私は主にアパレル及びテキスタイル業界のことを知っているので、
それについての話をブログで書くことが多いのですが、
別の業界でも
能力や才能などを搾取するような傾向があるということを教えてくださったり、
物(商品)は沢山あるけど、カスタマーのニーズを満たしているように見えない
という現状を教えて頂けたりして、すごく興味深くて、勉強になります。

私はどうも好奇心が強いタイプみたいで、
知らない分野や世界のことを聞くと「えっ!そうなんだ!わっ!面白い!」と思って勝手にワクワクしてしまう性質みたいです。

何よりも楽しんでくださっている感じがすごく伝わって、
私自身もものすごく嬉しいです。

もちろん答えだけを記入してエントリーしてくださる方も沢山いらっしゃいます。
エントリーしてくださったこと自体が嬉しいです。


コロナに関しても、コロナ自体が陰謀だと提唱する人もいれば、
ワクチン事業が陰謀だと提唱する人もいれば、
そもそもコロナなんてないと提唱する人もいるみたいです。
「武漢のウイルス研究所で作られたのが漏れたんじゃないの?」
という説が今は有力みたいですね。
中国は頑なに否定していますが、
そもそもウイルスを研究して何に使うつもりだったんだい?って話ですよね。

若い世代対象に給付金が支払われるみたいですが、
半分がクーポン券で給付されて、
そのために10万円を現金で支給するよりもものすごくたくさんのお金がかかるっていうことで、最近物議を醸していますね。

私の考え方では、
「全てを現金で給付したらみんな貯金しちゃうでしょ?そうしたら経済が回らない。クーポンで配布したら少なくとも経済が回るでしょ?」
と政府が考えているのかな?
と思いますが、
クーポンを作って配布するために、
またいろんな利権が絡み合ってややこしいことになるんだろうな。。。
と思います。

スーパーマリオ元首相が打ち出したあのちっちゃくて使えなかったガーゼマスク事業の時も
実は古巣の社長のところにも「マスク作ったら国からめっちゃお金もらえるらしいで。準備金◯◯◯万円もらえて、それを生産したら一枚◯◯◯円で買い取ってくれるらしいで。儲けるチャンスやで。あんたもやるか?」
と話が来ていたみたいです。(言い方が下世話。でも事実です。)

「材料手に入るん?今ガーゼも耳ゴムもめっちゃ入手困難やけどそれの調達どうするつもりなん?そもそも人々のピンチにつけ込んで自分だけが儲けるとかいう感覚、人としてありえへんわ!」と
disりかつ脅し気味に言いましたら、社長はその「うまい話」には乗らなかったみたいです。

代わりに地元の老人会で「布マスクを作ってみんなに配布しましょう」というボランティア活動に参加して
生地を提供したみたいです。

私もウーリースピンテープを無償で提供させていただきました。

「20mぐらい欲しいらしいねんけど、手配できるか?」
と聞かれたので、
「ええよ。」と言って200mぐらい送らせてもらいました。

「今、耳ゴムに使う素材が買えなくて大変らしいな。たくさん作って配布できるってみんなすごく喜んでたわ。」
と、言われました。
社長もちょっとおセレブ気味なので、庶民の現状に追いついていない部分が時々あるみたいです。

今はもう、マスクの供給が需要に追いついたので、
本当によかったですよね。

ただあの小さすぎるマスクを作るために
おそらく必要以上の税金が使われたということで、一時期物議を醸しましたね。

そうでしょうね。
業界内では「うまい儲け話」的に話され、それに群がる会社、めっちゃ多かったみたいですもん。(下請けのさらに下請け、みたいな感じで)

政治の中核にいる「華麗なる一族」の人たちは庶民の感覚がわからないんでしょうね。
「お小遣い10億円」とか
「生活が苦しい共働き家庭の手取り月収が70万」とか言ってるようなおセレブすぎる人たちなので。

多分彼らにとっては、
手取り月収70万は少なすぎて足りない収入なんでしょうね。

今日本の政治を主導している、「華麗なる一族」の人たちの感覚(特に金銭)は
困った物がありますね・・・。
この先国民の生活はさらに困窮して行って、
「華麗なる」政治家の人たちの感覚とのずれがますます大きくなっていってしまうんだろうなあ。



そのうち「政治家は青い血が流れているんだよ、庶民の諸君。」
とか言い出すんじゃないだろうか。(笑)
(フランス革命的なやつ)
生まれ育った北海道に比べたら
「こんなの寒いうちに入らんわ!」と意地を張っていましたが、
最近の東京もそろそろなかなか寒くなってきましたよ。

「仕事が忙しくて縫う暇がない」という言い訳のもとに
数年前に超大手肌着通販サイト(四国発祥のアレ)で購入した化繊混紡の冬用肌着が
毛玉がひどくて気持ちが落ちるとか、
化繊感で着用していて気持ちが落ちるとか、
そういうのに耐えかねて春先に全て処分してしまったので、
今年は肌着を全て自分の手で作らないといけない状況です。

「最近寒いから肌着作ろう・・・。」
となって、とりあえず自分とこのワンコインパターン
フライス用なんちゃら(名前覚えとけよ)で長袖のカットソーを作りました。

BBAなので、ラウンドネックのえりぐりの切り替えの幅を適当(4.5cmぐらい?)に広くして作りましたら
襟ぐりのあきが狭まって見た目の雰囲気はプチ◯トーぽいし、
まぁ〜あったかいのなんのって、
「Wildberryの生地とパターンって、いいねえ〜!はふ〜!」
となりましたよ。(自画自賛にも程があるだろ誰かこの女を撲殺してやってくれ)

使用したのは40/-フライスのスミクロです。

少し前に作ったレギンスは寒がりのムスメにあげちゃったので、
自分の店の生地で自分用にレギンスも作ろうと思いますよ。

こういうのを職権濫用と言います。

私が作ったカットソーを見て、
早速オットが試着していましたよ。
「袖が細すぎて売れが通らないよ。」と言っていました。
(いや、レディース用だって。)
それでも無理矢理着用して
「肌触りが気持ちいい〜!あったかい〜!」と喜んでいました。

そういえばフライス用のピタッとした肌着的パターン、メンズ用もあったよな?
それを出力してオット用の肌着も作ろうかな?

そんなわけでこれからしばらく、オットとムスメ、家族用の肌着を作る日々になりそうです。

それにしても縫うのって、
楽しいですね。

10着。

昨日のぶっ込みクイズにはたくさんのエントリーをありがとうございます。
日曜日が終わる時間までエントリーを受け付けていますので、
よかったら気軽にご参加くださいね!
一時期、リネンが大流行したことがありました。
森ガールという言葉が流行った時期がありましたよね。
ナチュラルな素材のお洋服で、少しだけ甘いデザインの、
たっぷり目のシルエットの、スカートとかワンピースとか、を、
何枚も重ね着するというスタイルがとても流行っていました。

今はそんなにクローズアップされているというわけではないけど、
リネンを使ったお洋服のスタイルは
「流行遅れ」ではなくて「一つのジャンル」としてその地位を確立したな。
と私は思います。

何よりも、リネンという繊維の良さを多くの日本人が知ったので、
「流行ってるから取り入れる」とか「廃れたから廃棄する」とか、そういう観点ではなく、
「いいものはいい。」
という観点で、生活やファッションの中にリネンはこの先も定着していくものになったかな?
と思います。

国内に出回るリネン生地も、
流行りはじめの当初よりもずっと質の良いものが多くなって
「リネンはチクチクするもの」というイメージが払拭されつつあります。

昔のリネンって、繊維の精製技術が稚拙だったので、
太くて硬い繊維がたくさん入っていて、
今のリネンのレベルから見たら「雑穀袋ですか?」と言いたくなるような粗いものが多かったです。
それでいてm単価は結構高くて、
資材用的なリネンで、2800円/mなんていうお値段のものもありました。

今は随分と柔らかくて、お肌に厳しくないリネンが増えました。
画像は先日入荷したヘリンボーンのリネンです。

お洋服だけでなく、
吸水性が良くて速乾性があるリネンは、生活まわりに使うととっても使い勝手がいいので、
良いリネンを見かけるとついつい仕入れてしまいます。

これから真冬になっていくっていうのに、夏の話をしますが、
真夏の暑い時期にはやっぱりリネンの通気性の良さは助かります。

もうね、この歳になると流行っているか、とかかっこいいか、じゃなくて
着てて楽か、動きやすいか、気分良く過ごせるか、の方が重要になって来てしまいます。

良いんです。それで。私は。

先日古巣のテキスタイルメーカーの社長が
「ミチコ(コシノ)さんに会わしてやる。」と言っていたのですが
結局それは無しになったみたいで、
まあ私は特にこれからアパレル業界の最前線で頑張っていこうとか闘志を燃やしているわけではないので、
「ミチコさんがどんな人か興味はあるけどそんなにテンションが爆あがりする話でもないな。(人見知りなので)」
と思っておりました。

話のネタとしては面白いかもしれませんが、
会ったところで私にもミチコさんにもメリットがないので、
「この話自体が絵に描いた餅だろうなあ。」と思っていました。

「会わしてやる。」と言われた時に
「わ〜すごい!是非是非!」と私がテンションを上げて喜んだら、ひょっとしたら会わせてくれたかもしれませんが、
「はあ、そうですか。。。(食事とお酒付き合うのしんどいわ〜)」ぐらいのテンションでしたので
「会わしてもこいつ、感動せえへんわ。」と判断されたのかもしれないなあ。
と思いました。

後日別の人たちを集めてミチコさんとの会食の席を設けたみたいです。
私の知っている人も招かれていたみたいです。
ああ、やっぱり私には声かからんかったなあ。
と思いました。

精神的及び経済的にメリットがない相手は排除ですね。

まあ、そういうもんですね。現代社会って。


社長のアシスタントをしていた頃から、
すごく華やかなアパレル業界の、すごく華やかな人達に会っても
「根本的に人間だってことでそう大差ないわ。キラキラして見えてもハリボテな人も意外と多いねんなあ。てか、売ることやナルシズムに必死になりすぎてて逆にちょっとカッコ悪い人も意外と多い。」
という、結構冷めた目で見ていることが社長にバレていたように思います。

それなのに取引先が「オガワさん、オガワさん」と来る状況でした。

本来社長がすごくて大人気なはずなのに、
いっとき私の方が人気者のような感じで問い合わせをたくさんもらうようなことがありました。

そのせいで社長に嫉妬されてパワハラめいた対応を受けた結果私が体を壊して会社を辞めたました。
華やかなアパレル業界に対してしがみつくような気持ちがなかったので,
引き止められましたが強引に我を通して無理やりやめさせてもらったような感じでした。

入りたいと思ってもなかなか入ることができない「アパレル業界」と言うところで
いろんな仕事をさせてもらえたことはとっても得難い経験だし、
それによって自分自身の経験や知識もすごく身につけることができたので、
社長のアシスタントとして働いたこと自体は後悔していませんが。

でも
実際に「〇〇は俺の客だ!お前が盗るな!」と言われたりとか
「お前が前に出るな!俺に言われたことだけやってれば良いんだ!」
「お前に来た問い合わせは全部俺に回せ!自分の裁量で返答するな!」
と言われたこともありました。
東京事務所に常駐してたらお客さんがいっぱい来るから、
その対応をしてただけなのに・・・。

いろんなお客さんが来ました。
ポールなんちゃらとかハリウッドランチなんちゃらとかshipなんちゃらとかバーバなんちゃらとかムージョンなんちゃらとかなんちゃらとかなんちゃらとか・・・。

「いや私アンタのアシスタントやん。私の業績は全部アンタの業績になるやん。何いうてるんやろこのおじいさんは?」
という気持ちでした。


理不尽すぎて納得いかない上に体調を壊したので
「もう嫌や」と言って古巣をやめてWildberry一本でやることにしました。

どこかに勤めて給料をもらう以外は選択肢にない人ばかりがそれまでの自分の部下もしくは社員だったみたいなので、

「別にあんたのご機嫌取らんでも元々自力で生きていけるしな。てかそっちの方から一緒に仕事しようと言って来たんやろ。」
的なスタンスで社長に全く媚びない私のことを、都合のいい時は頼もしく思ったり、
都合の悪い時は面白くなく思っていたんでしょうね。

理不尽と思ったり、納得がいかないと思う時は泣き寝入りせずにいちいち徹底的にぶつかったので、
社内では喧嘩が絶えませんでした。
おかげで社内では
「あの社長に楯突くなんてオガワさん怖い」と言うイメージが定着してしまいました。


社長は基本天才なので、
生地や機械に対する技術や知識は本当にすごいです。そこは本当に尊敬しています。

でも、ちやほやされることが当然なスタンスだった人にとって
それをして来ない人(私)のことは気に入らなかったんでしょうね。


私の憶測ですが。


今は和解して、社長との間に不満や軋轢はありませんが。



昨日社長から電話が来ました。夕方、結構遅い時間に。
「こんな時間に電話が来るなんて珍しいな?」
と思い出ましたら
「Wildberryからの入金無かってんけど、先月って取引一件もなかったっけ?」
と言われました。
「ないよ。」
と普通に答えましたら
「そうか、もっと頑張ってくれ。」
と言われました。

「へ?」
と言いました。

いや、全然普通にいつも通り頑張ってるけど。

「もっと頑張ってくれ」はもっと自分の会社の売り上げに貢献してくれ
という意味合いなのではないかな?と思いました。


個人事業主の私如きが頑張ったところで
古巣の会社の売り上げに貢献できるとは到底思えない
というのが私の正直な感覚です。

そして恩義のために無理して仕入れたり無理して販売するのもなんか違うよな。
とも思ったので、
「がんばれ」と言われたからって今までのスタンスを変えるつもりはありません。
なので社長にとって私はあんまりメリットのない存在という認識がこれからも強まていくのではないかな?と思います。

まあ、別に良いけど。

でもそれぐらい、今のアパレル業界及びテキスタイル業界の現状は逼迫しているということなのかもしれないなあ。
と思いました。

世界で一番環境負荷が大きいのは自動車産業みたいです。
二番目はなんとアパレル産業。

廃棄物が多すぎるんでしょうね。
これは「トレンド」を煽って常に新しいものを打ち出して
人々の購買意欲を煽り続け、
お洋服がまるで使い捨てかのように人々の意識をコントロールして来た結果なのではないかなと思います。




生地を販売している自分自身が思います。

Wildberryが販売している生地は質の良いものが多いので、
(自分で言うか!!!!!!!!!!!!!!!)
一回形にすると
かなり長持ちしてしまいます。

(誰か私を撲殺して下さい。)



何年もヘビロテで着用しても
形も風合いも全然劣化しない。
なので自分自身のお洋服でさえ、もう何年も作っていません。
画像はループウィラーというブランドのジップアップパーカー。
オーガニックコットンの吊裏毛で作られたものなのですが、
5年以上前にサンプル製品をいただきました。

店頭価格で2万円を超えるものだそうです。

質感も風合いも、全く変わっていません。

洗濯を繰り返しても、生地がカチカチにならないので、ずっと機嫌よく着れています。
形もものすごくプレーンなので、流行とか気にせずに、普通に着れます。
なので、新しいものを買う必要を感じません。

一枚のお洋服が5年10年持っちゃったら、
お洋服を買う必要と理由がなくなります。
5年か10年にいっぺんずつ買い換えれば良いだけになるので。

本当に好きで、本当に質の良いものを所持するということは
結果的に節約につながるということなんでしょうね。

たくさん所有しなくてはならない、
と私たちは強迫観念的に刷り込まれてしまっている部分があるのではないかなと思うのですが、
いつも似たような服装をしていても
意外と他人って
「相手が何を着ていたか」なんて気にしていないし覚えていないもんです。

「あらあの服をよく着ているわ?」
と認識したところで、
「あの人ああいう雰囲気の服が好きなのね。」と認識する程度です。

マウントを取り合ってせめぎ合う関係性じゃなければ。

フランス人は服を10着しか持っていない、
的な題名の本が一時話題になりました。
興味があったのですが私は読んでいません。

でも、
10着は大袈裟かもしれませんが、
人が生きてゆくために必要なお洋服って、
意外とそんなに沢山要らないかもしれないなあ。

と最近思います。

丁寧に。

私が最近すごく眠気が強くて貧血感があるので、
「食生活が偏っちゃっているのかも。」と思いました。
歳をとったせいか、無意識に野菜と魚に傾倒しがちです。

鱈の燻製とか。
鮭とばとか。

ってそれはおつまみであって食事じゃない。

私が貧血感を覚えているときはオットも軽く疲労感を抱えているような気がします。
同じものを食べて暮らしているのと
社食があっても仕事中は忙しすぎて食事の時間を取れるかどうか微妙な状況の日が多いらしく、
食事の時も「飲めるメニュー」をチョイスすることが多いらしいので
(ラーメンとかかけ蕎麦とかカレーとか)。

「やっぱさ、下の人たちにご飯行かせてあげたいじゃん?自分の指示で動いてくれるわけだからさ。」
とは、オットと同じ役回り(現場の陣頭指揮を取る立ち位置)の仕事仲間の人が言っていた言葉です。

ホテルの語源って「ホスピタリティ」から来ているらしく、
そのせいなのかどうなのか、オットの仕事仲間は繊細で心優しい人が多いように感じます。
貧血や疲労の改善には豚肉でしょ。

と言うわけで、
昨晩は豚キムチ鍋を作りましたよ。

お客様がお手製のキムチをお裾分けしてくださいました。
これがものっすごく美味しくて、
一度食べ始めたら箸が止まらなくなってしまいます。

いただいてから時間が経つにつれてお野菜自体の甘味でしょうかね?
味が丸くなってきて、辛さをほとんど感じることなく、
全てが旨味になって来ます。

「あれ?最初辛いと感じたのに、全然辛くないや。不思議!」
と言う感じになって来てます。

深夜に帰宅するオットと夕方帰宅する私は夕食の時間が違いますので、
この1.5人前の小さな土鍋が非常に重宝します。
この量だと、〆めなくてもちょうどお腹がいっぱいになるみたいで、
深夜に炭水化物を摂取しなくて良いので健康的にも良さそうです。

この小ぶりな鍋、
元々は、ケランチムとか土鍋茶碗蒸しとかスンドゥブが作りたくて購入したのですが
意外にも出動回数が結構多くて
「買って良かったキッチン用品ナンバーワン」になっています。

10月に緊急事態宣言が解除されてから、まる2ヶ月がすぎました。
1年半以上ずっとびっちり手伝ってもらっていた私の仕事も
「基本1人で運営する」と言う事態に慣れ始めています。
事務所も以前よりは狭いし、使い勝手が随分と違うのですが
「あ、1人だとこんな感じね。」
と言う感覚が体感としてわかり始めています。
やっと。

商品の入荷に関するペースも、
出荷に関するペースも、
自分の体力に関しても。

私は筋肉質でパワーで押し切るタイプではない(と言うか真逆)なので
黙々と、淡々と、自分の仕事を大事にしながら丁寧にやって行くのが
あっているかな。と思いましたよ。

生活も仕事も大切にしつつ、丁寧に進めて行くようにしよう〜っと。
と思いました。


反物を納入してくれる運送会社の担当ドライバーに
「あ、待ってましたよ。この生地受注に商品の入荷が追いついてなくて。」
と言いましたら
「商品の回転率すっごい早いね。今日は1人?」と言われましたので
「オットが本業に戻ってしまったので今日も1人ですよ。」
と言いましたら
「旦那は雅叙園で、嫁さんはこんなに仕事忙しくて、2人して稼いでガッポガッポだなあ。」
と言われました。

「わ〜、そう言うふうに見られるんだ。」
と思いました。

ちょっと傷付きました。

「そう言うふうに見られるんだ〜・・・。」

お互いに、好きなことを仕事にして、好きなことを一生懸命やっているだけなのにな。
2人とも、お金やステイタスのためにやっているわけではありません。
お金のためにやっているのだったら、
オットも、
昇進して給与ベースもステイタスもアップした時に降格を望まなかっただろうし。
お金のためにやっているのだったら、
私も事業規模縮小なんてしなかっただろうし。

そう言う経緯を知らない上に「お金」にフォーカスしている人から見たら
そう言う言葉が悪気なくつい出てくるような状況に見えるんでしょうね。

そういえば
恋愛系でスピ系の情報商材を販売したり、セミナーを開催したり、オンラインサロンや有料メルマガを配信している人のブログを目にしたことがあったのですが、
「300万円の札束であおいだ風は気持ちがいいですよ〜!あなたもこうなりましょう!」
と扇状の一万円札を持ってニッコリしている若い女性の画像が載っていました。
(ちなみに300万円は、扇状にしてあおぐなんてできないと思います。
実際に持ったら分厚くて、片手で持つのは酷く難しいんじゃないかなと思います。
500枚入りのコピー用紙の束の6割の厚みぐらいだと思います。)

なんだかものすごい違和感と軽い嫌悪感を覚えました。

昔、「お金って怖いな」と思う出来事があったのですが、
今は「ひょっとして今の時代はお金ってさらに怖くなって来ているのかもしれないな。」
と思います。

ちなみにオットの仕事の給料も意外とそんなに多くないし、
私の売り上げも昔の三分の一に届かない程度ですし、
決して裕福な生活はしていません。

「冬は鍋がいいね〜。」と言って喜ぶ、ささやかな生活を楽しんでいる程度なので。

借金はないけど、貯金もそんなにあるわけじゃない。
「老後に向けて貯金しないとね〜爺さんや。」
「そうだね〜ばあさんや。」
と言い合っているぐらいの生活です。(笑)

大事な家族(犬、魚、エビ、植物含む)がいて、
それを喜ぶための時間があるのが私にとっては一番重要かな。
と思っています。

「お金なんかはちょっとでいいのだ〜!」です。

さてこれは誰のなんて言う歌でしょう?
ミニぶっ込みクイズです。
ミニカットクロスセットをプレゼントします。

「ロス生地どんだけ出るねん!」とお思いでしょう。
そんだけ出るんです。
「捨てないぞ。」となると、こうなります。

こちらからエントリーしてくださいね。
ちっちゃい生地が多くなるので
小物作りが得意な方にオススメです。

日曜日いっぱいエントリーを受け付けさせていただきますね。

追いつきました

ようやく、出荷が受注に追いつきました。
ご注文くださったお客様、大変長らくお待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

気長にお待ちいただき、誠にありがとうございました。

気が抜けたせいか、昨日はとっても眠い日でした。
仕事中も眠く、仕事が終わっても眠く、夕飯を食べても眠かったので
ありえないぐらいに早い時間に寝ました。

え〜、
平均睡眠時間が3〜4時間半な私は
次の日になる前に「あ〜よく寝た。」と言って起きました。
あっ!いけね。睡眠サイクルが狂うやつだ!と思いましたので
その後2時間ぐらい活動をして、また寝ましたよ。
でも老犬がちょいちょいわんわん言いますので
その都度お世話をしたりたしなめたりして、すごく細切れにしか眠ることができませんでしたよ。

というわけで今日も睡眠不足感があります。

ずっと働いていて昼間は誰もいない家での生活が板についているので
昼間はすごく長い時間ぐっすりと眠るみたいです。
我が家の犬たち。

で
夜になると活動的になるみたいです。
老犬は後あしが随分と弱ってきてしまっているので、
自力でソファーやベッドに上がることができません。
降りることはできますので、
降りた後で上がりたい時はわんわん言って私を呼びます。

体が続く限りは、付き合ってあげようかなと思っていますよ。

寝不足及び貧血感を覚えていますが、
それもまあ、よしかな。と。
老犬が死んだ後で「もっとしてやれることはあったはずなのに!」という罪悪感に苛まれるのは嫌だなあと思うので。
いっぱい犬を見送った経験があるので、
どんどん自分に対してシビアになってきているみたいです。

私が生まれる前から実家にいた犬が、私が中学生になる前に死にました。
外犬だったのですが、冬のある日犬小屋の中でカチンコチンになっていました。
ご飯は食べていないまま凍っていました。

それを受けて母親が私を責めました。
「あんたがちゃんと世話をしていなかったから死んだんだ。」と。

スピッツの雑種でした。
老犬だったので、
お風呂に入れてあげて家にあげてあげていればもう少し生きたかもしれません。

でも当時の両親は、それをしようとしませんでした。
まだ子供だった私には、言われた通りにただご飯をあげにいくことしかできませんでした。
犬小屋は家の裏に設置されていました。
表に設置されていたら、もっと家族や他の人と関わることができたはずなのに。

雪が積もる北海道ですので、
犬のご飯をあげに行くときは雪を踏み固めるか、雪かきをしながら行く必要がありました。

大人になった今ならわかります。
両親の犬に対するネグレクトだったと。

でも当時の私にはわかりませんでした。

そして犬が死んだ時、私のせいにされました。

子供の頃に親から植え付けられた罪悪感を払拭するのは
なかなか難しいです。

犬が死んでその責任が私にあると言われて、
元々姉からのいじめも日常的に酷かったし
家の中で精神的な拠り所を失った私は、あからさまにひどくしょんぼりしていました。

それをみかねた父親が、知り合いからうさぎをもらって来てくれました。

喜んで可愛がりました。
お世話もしました。

でも母親が、そのうさぎを放してしまいました。

ある日うさぎにご飯をあげに行ったら、小屋にうさぎがいませんでした。
「うさぎがいない」と言いましたら
「あんたが世話しないから、うさぎ放したよ。」
と母親が言いました。

冬でした。

実家は田舎でキタキツネがうろちょろしているような地域でしたので、
野生ならまだしも、飼い慣らされたうさぎが放されたら、
どうなるのかは火を見るよりも明らかでした。

裏の空き地の草を刈って干して、それを敷き藁にして小屋掃除も自分でしていました。
ご飯もキャベツの鬼葉などを、母親がパート先でもらって来てくれるものを与えていました。
人参は「高いから、勿体無いからダメ」と言って与えさせてもらえませんでした。

「あんたが世話しなかったせいでうさぎも死んだ。」
と言われました。

いや、放したのあんたやろ。
なんで私の責任にされるねん。

と、
大人になった今はわかります。
でも子供だった当時はそんなこと考えも及びませんでした。
子供にとっては親の言うことが絶対なので、
「あんたの責任でまたかわいいペットが死なないといけないことになってしまった」
と言われたら
「そうか私が悪いのか。」と思って納得して、罪悪感に苛まれるしか方法がありませんでした。

それらは私のトラウマになりました。

お客様から、
「あなたは優しすぎます。もっと自分を労ってください。」
なんて言われることが時々ありますが、
その要因になったのは
子供の頃に押し付けられた罪悪感なんじゃないかなあと
大人になった今は思います。

老犬ソラを、ちゃんとお世話して、ちゃんと見送って、
あの頃覚えた罪悪感を払拭したいのかもしれないなあ。
と思っています。


今ちゃんと思い出してみると
かなりえぐい家庭環境で育ってたよな?私?
と思います。

ネグレクトを通り越してスケープゴートだったのでは?と思います。


父親は公務員だったので、
外から見たら
お父さんは安定したお仕事だし、娘さんたちは成績良いし、申し分のない幸せそうな家庭
と言うふうに見られていたんじゃないかな?と思います。

幸せそうに装うのは意外とできるもんなんだな。
実際に幸せかどうかはまた別の次元の話なんだな。

と言うことは、半世紀近く生きてようやくちゃんと理解できました。


「専業主婦になりたい。やりたいことがあるのに、仕事が忙しくて時間がないせいでそれができないのは嫌だ。」
と訴えましたら、
オットに
「無理でしょ。」と即答されたことがあります。

「なんだそら!あんた私の稼ぎを目当てに結婚したんか!」
とかみついてみましたら
「性格上、時間ができたら別のことやるでしょ。で、それが商売になって、結局忙しくなるんじゃないの?そうなったらまた別のことができないって不満が出るんじゃない?」
と言われました。

なるほどオットは私のことをよく理解しているな。

と思い、
「そうか。」と言って引き下がりました。

「大変だったら手伝うよ。好きなようにやって良いよ。俺、今の仕事辞めても別に大丈夫だし。」
とも言ってくれました。

「・・・。そうか。。。」(鼻水)


実際に出勤が遅い時間の時とか、
退勤が早い時とかは
事務所に寄って私の仕事を手伝ってくれます。
(駅近の事務所で良かった〜)

私が疲れている時は好きなだけ寝させてくれるし、
私が苦手な買い物とかも、率先してやってくれます。
犬たちの世話も嫌がらずに笑顔でやってくれるので、
犬たちからの信頼感も絶大です。


先日オットのお母さんと電話でおしゃべりした時に
「息子はいい嫁さんに当たって良かった」と言っていましたので、
「私の方こそ、いいお婿さんもらって良かったって思ってるよ。仕事も家事も手伝ってくれて、いつも穏やかで私たちは幸せなんだろうなあと思うよ。」
と言いましたら「良かった良かった」と涙ぐんだ声を出していました。


異性でも同性でも人の評価って、見る側の価値観に依存すると思います。
「学がある人が好き」とか
「見た目がいい人が好き」とか
「流行やファッションに興味がある人が好き」とか
「グルメな人が好き」とか
「優しい人が好き」とか
「たくさん稼ぐ人が好き」とか
「理性的な人が好き」とか
「派手好きで自己主張が強い人が好き」とか
「オラオラ気質の人が好き」とか
「借金癖がある人が好き」とか
「引っ込み思案な人が好き」とか
「ヲタク気質の人が好き」とか。

本当にさまざまだと思います。

オットは無口で自己主張をあんまりしないタイプです。
なので、地味なイメージと捉えられやすいです。

美容院で美容師さんに
「オットは他所では無口だけど、私にだけは普通によくおしゃべりする人。」
と言いましたら
その美容師さんの何かしらの心の稜線に触れたみたいで、
「いやそれってめっちゃ良いですね。そういう関係性、カッコイイ。憧れるわ〜!」
と言われました。
「そうか?」と思いましたが、
その美容師の方の何かしらの「美学」を刺激したんでしょうね。(笑)

人によって価値観って本当に違うと思います。
先日、高円寺の商店街で
ざっくりとした大柄の千鳥格子のニットを見かけました。
「わぁ〜〜〜〜〜かわいい!かわいい!」と言ってためつすがめつしていましたら
それをみていたおじいさんが
「他人の使ったもの、良く平気で着れるなあ。誰が着たかわからないようなものだよ?」
と言いました。

「そういう考え方もありですね!その気持ち、わかる!でもこれかわいいと思いません?」
と言いましたら
「この街には新品の服を売る店がほとんどないんだよ。」
と言ってヨボヨボと立ち去って行ってしまいました。
うん知ってる。ここに住んでるから。
と思いましたが、言いませんでした。

何をよしとするかは
本当に人それぞれですね。

そのおじいさん、ヨレヨレでヘロヘロの
いわゆる小汚いと思われてしまいそうなお洋服を着ていたのですが、
そのお洋服はきっと全て新品で買い、そしてそれを長年大事に着て来たものなんだろうなあと思いました。

それはそれで、すごく素敵なことだよなあ。と思いましたよ。


その時隣にいたオットは、
「あっちフラフラ、こっちフラフラ、まっすぐ歩けない。」
と言って笑っていました(笑)。
オットは中古でも新品でも、気に入ったものは大事にするタイプの人です。




さて今日も、楽しく生きましょう。

とある休日の考察

人が喜ぶと
嬉しいです。

その人を喜ばせたのが自分だったら
なお嬉しいです。

今回もぶっ込みクイズにたくさんエントリーくださってありがとうございます。

正解は、斉藤和義 大阪城ホールでのライブアルバムに収録されている、
「バカにすんなよ!」でした。

その曲の中では
せっちゃん自身が大学受験で初めて大阪に来て
新大阪駅で駅員さんに
「おどうきんせんってどこですか?」
と聞いたら
「あんたそれ御堂筋(みどうすじ)やで。」
と言われたエピソードとか

関西学院大学の学園祭のライブに呼ばれた時に
学生用のトイレで学生たちが
「今日のライブ誰?」
「ああ、山崎和義ちゃう?」
と名前をあべこべに言われた(ちゃんと覚えてもらえていない)ことなど
関西でせっちゃんが経験したエピソードが盛り込まれていました。

ちなみに私はまさやん(山崎まさよし)も大好きです。

当選者は
東京都の、Nさまです。
寒い季節のせいか、今回のロス生地は分厚めのものが多めなので、
ちょっと体積が大きいカットクロスセットになってしまいそうです。

あったかいお洋服を作って、冬の寒さと風邪とインフルエンザとコロナに負けないでくださいね!

またロス生地が溜まってきたら不意にぶっ込んでいくと思うので、
良かったらご参加くださいね。
廃棄生地を減らすためのエコ活動と捉えて、
お気軽にご参加いただけましたら嬉しいです。
昨日は天気が良かったので、歩いてお隣の駅、中野まで行ってきましたよ。
まだまだ「闇金ウシジマくん」熱が冷めず、
未読の本を求めに行きました。

しょこたんが育ったという、サブカルの聖地「中野ブロードウェイ」に行きました。

徒歩で片道15〜20分ぐらいかな?
ちょうどいいお散歩の距離です。

高円寺のお隣の駅なのですが
中野は大学もたくさんあるし、企業もたくさんあるので、
すごく大きなビルが多くて
「都会だよね・・・。」と感心します。

中野サンプラザもあるしね。

ステイタス的にも地価も家賃相場も中野>>高円寺らしく、
「いやあんたほぼ高円寺や〜ん!」と突っ込みたくなる場所に住んでいても、
「中野に住んでいます!」と言う人がいます。(笑)

人によっては逆もまた然りみたいで、
「いやあんたほぼ中野や〜ん!」と言うところに住んでいる人でも
「自分は高円寺」と言い張る人もいます。
面白いですね。
どっちが好きか、なんでしょうかね。(笑)

私もオットも鉄道ファンではないのですが、
線路を見下ろすこの歩道橋からの景色は迫力があって、
しばらく眺めていました。
空が広く見えて、
胸が空く、というか、呼吸が楽になる、というか、
日頃感じている窮屈さを解放できるような気分になりました。

大きなクレーンが複数台稼働していて、再開発が進んでいることが伺えます。
中野駅徒歩3分ぐらい(ひょっとしたら1分ぐらい?)の場所に古い古い団地があったのですが、
それが取り壊されて商業施設込み、
オフィステナント込みのタワーマンションが建つみたいです。

個人的には
古い古い団地に住む人たちの営む生活の気配を好ましく思っていたので、
再開発で団地が取り壊されると言う話を聞いた時はちょっと寂しいなと思いました。

昔は中野は郊外的な立ち位置だったんだろうなと思います。
新宿でさえ団地が立ち並んで庶民が暮らす郊外的な立ち位置だったらしいので。
今は新宿が大都会みたいな立ち位置になってしまっているみたいで
その「都会」が拡張されているせいで
庶民にとっての暮らしやすい場所もどんどん郊外に押しやられてしまっているんでしょうね。

生きるだけで大変な時代だなあ、と思います。

お、ミクロン。

入ってきちゃいましたね。
新しい変異株。

日本国内に。

しかも濃厚接触者のうち、6人と連絡が取れていない状況だとのこと。

国内で最初に陽性判定された人も、
最初の無症状だったのは、
徐々に発熱の症状が出始めているとのことですね。

うん。
怖い。
オミクロン株は空気感染することがもうすでにわかっているので、
これはかなりの脅威になりうるんじゃないかなと思います。

高須クリニックの高須院長が
今回の「外国との渡来を禁じる」と言う政府の対応を評価したのに対して
ホリエモンは「そんなことしても意味がない。」と発言をしたみたいですね。

ホリエモンは頭が良すぎて、どの次元でその発言をしているのか、
私程度の稚拙な脳みそでは、ちょっと理解できないのですが、
多分何かしらの明確な理由があってそう発言しているんでしょうね。

この稚拙な頭で想像したところ、
おそらく人類に集団免疫が構築されなければ病原体の制圧は不可能なことだ。
ぐらいのものすごく俯瞰的に捉えての発言なんじゃないかなと思います。

地球規模、人類規模で考えたらそれがおそらく真っ当な意見なんだろうなとは思いますが、
でもやっぱり私みたいな凡人は、感染したくないし死にたくない。

スミマセン俗物です。



オットは
「早速緊急事態宣言を発出してもいいぐらいなのでは?」
と言っていましたが、
私も同感です。

でも今の日本の政治の流れでは、
「これから経済を回していこう」と言う方向に傾倒しているので、
これはすぐには止めることができないだろうし、
と言うことはオミクロン株が日本国内に蔓延するのも
時間の問題かもしれないぞ?

なんて思っておののいています。

いいところの坊ちゃん嬢ちゃんが先導指揮を取る政治は、
危機管理意識が弱いように感じてしまいます。

「ママ、お小遣いちょうだい。10億円。」

これはとあるライブでせっちゃんが歌っていた歌詞なのですが、
さてなんていう曲名の歌でしょう?

これはかなり不公平なぶっ込みですね。(笑)

こちらからエントリーくださいね。
今日が終わる時に締め切らせていただきます。

当選者の方には、
ちょっとだけボリューミーなカットクロスセットをプレゼントいたします。

10億円がちょっとしたお小遣いだと認識できるほど豊かなおうちに育った人に
平均年収300万円の日本国民の気持ちなんて、わかるわけがありません。

「共働き夫婦の、夫の手取りが50万で、パートタイマーの妻の手取りが20万だとして」
といったスーパーマリオ元首相

一日6時間働くとして1ヶ月20日間働くとして(土日は家事や育児に充てたいしね)
社保や税金を加味して計算したところ、自給自足2000円を超えていましたが、
そんなパート、どこにあるんでしょうかね?

そもそも夫の手取りが50万あったら、主婦は家事と育児に専念できますって。
すごくお家賃の高い地域に住んでいるのでなければ。

(そういえばさんまさんが初めて東京に住み始めた時にマンションの家賃が27万だったって言ってたな。東京怖い。)
犬がストーブの前で上向いて寝ています(笑)。

今日から12月ですね。
寒くなってきました。

加齢の影響もある(いや大半?)とは思いますが、
コロナからこっち、時間が過ぎるのがものすごく早いような気がします。

気持ちが落ち着かなくて、なんとなく浮き足立っているんでしょうね。

東京は日本の首都で、流行の発信地と言われていますが、
疫病の流行の発信地でもあるんでしょうね。

今年の師走は、
走り回っちゃいけない師走(再び)、ですね。

今我々は
とても暗くて長いトンネルの中にいますね。
まるで常紋トンネルみたいな。


少し前に従軍慰安婦についての記事を書いたときに
強制労働させられた韓国人(ちょうようこう)のことについて言及するメールをいただいたことがありました。

従軍慰安婦に関しては韓国人だけではなく、
日本人もたくさん志願していたことも知っていました。

ちょうようこうの人たちのことも知っていました。
でも、たくさんの日本人の人たちが同じように強制労働に駆り出されていたことも、
知っていました。


北海道は、強制労働を強いられる人たちによって拓かれた土地でもあるので、
常紋トンネルだけに限らず、
札幌から旭川を繋ぐ国道12号線でも同じように
いわゆるタコ労働者と言われる韓国人、そして当時「穢多非民」と言われていた
被差別部落の人たちがたくさん動員されて、
非常に厳しい条件下で強制的に労働させられたいたこと、
そして体調を崩したら殴り殺されて道端に埋められたり、
「人柱」としてトンネルの中に埋められたりしていました。

そう言う経緯からか、
北海道には、いわゆる在日と呼ばれる韓国ルーツの人が、意外と多いです。

差別をしたがる人、って言うのは
世の中にはある一定数必ず存在するものなんだろうなあと
ほぼ半世紀生きてきた経験上思うのですが、
同和差別
在日韓国人差別
在日中国人差別
それらをする人を私はあんまり好きじゃありません。
だからと言って差別を受けていた人たちを擁護し過ぎるのもちょっとどうかな?とも思います。

正しさを求めるとヒステリックになってしまうような気がします。
「より正しい」を求めるあまりに、マウンティングが発生して、
ギスギスしてしまいがちなような気がします。

人として、
「隣人に優しく。」

人によって正義感とか価値観は違うしね。
それを同じテーブルに乗せて議論しても
式守伊之助みたいなひとが「こっちの勝ち」ってジャッジしてくれるわけじゃないしね。
あ、木村庄之助でもいいけど。(笑)

1129

昨日は11月29日で良い肉の日だったみたいですね。

へ〜。

だからと言うわけではないのですが、
少し前にYouTubeに上がっていた孤独のグルメの動画で五郎が1人すき焼きを食べているのを見て
「すき焼き、良いなあ。」と思いましたので、
五郎の真似をして1人すき焼きをしてみましたよ。

高円寺には、良質なお肉がとてもリーズナブルに販売されている
JUMPという対面式のお肉屋さんがあります。
同じ単価ならここで購入した方が圧倒的に美味しい、と体感できるお店です。
プラスチックトレーを使わないので、ゴミもあんまり出ないしね。

すき焼き用のお肉ってとっても高いものというイメージが定着してしまっていますが、
国産牛でも「意外と手が出しやすいお値段」でしたので、
仕事の帰りに喜んで購入しましたよ。

「すき焼きが好っき!」(スキネズミ風)と言いながら調理して
喜び勇んで食べ始めましたよ。




半分食べたところで撃沈しましたよ。

お肉なんか、1枚しか食べれませんでしたよ。

BBAになると、良い牛肉に対するキャパがなくなるんですかね?

黒服業務を終えて深夜近くに疲れて帰ってきたオットが
私の残した1人すき焼きを立て直したものを美味しく食べてくれました。

昔々、テキスタイルメーカーに所属していた頃、
取引先の接待で、すき焼きの老舗で有名な「今半」のランチをいただいたことがあります。

その時、割下を選べたことを今(たった今)思い出しました。
普通のすき焼き用の割下と、確かポン酢味の割下がありました。
当時の私は確か、ポン酢味をチョイスしていました。そういえば。

今頃思い出すなんて、バカバカばかばか私のばか。

というわけで、次すき焼きをするときは、
ポン酢とお酒を割ってさっぱり味の割下でチャレンジしてみようと思いますよ。

ちなみに、
すき焼き用国産牛肉300gで1000円ぐらい
すき焼き用の具材(豆腐、白滝、ねぎ、春菊、椎茸)600円ぐらい
作った1人用すき焼き3食分
割り返したら1食分600円未満でした。

ちなみにすき焼きの老舗で有名な「今半」のすき焼きランチは
一人前4000円だった様に記憶しています。
(調べてみたら今はもう2割ちょっとぐらい高くなっているみたいでした。)


あ、今半は浅草が元祖らしくて、
私がいただいたのは当時通勤していた近所の「人形町今半」でした。
元祖の元祖、浅草今半だと、ランチでももっと高いらしいという話でした。

ちなみに夜は1人前5桁はするみたいです。
しかも諭吉先生1人では足りないぐらい。(私だったら泡吹いて倒れます)


私は1人前600円未満のすき焼きで十分です。(チーン)

しかも私はお肉一枚しか食べれなかったので
すき焼き用のお肉300gで5枚
お肉一枚当たり200円なので、
野菜系の具材1食あたり200円とすると私のすき焼き、1食400円です。

何の計算してるねん!ちゅ〜話ですね。

美味しかったです。
「贅沢している!」っていう気分もすごく良かったです。

1食400円で贅沢感を味わえるリーズナブルな女。


(笑)


新型コロナウイルスの、
新しい変異株が世界中で物議を醸しています。

対応が後手後手に回りがちな日本政府も、入国を禁じることにしたみたいですね。
でももうアフリカ南部からの渡航者からコロナ陽性反応が出ていて
ゲノム解析してそれがオミクロン株かどうかを調べている最中みたいですね。

もしその人がオミクロン株に感染していた、っていうことになったら
日本も「対岸の火事」的にのんびりと構えていられない状況になると思います。

そうしたら
「入国禁止措置を発令するのが遅かった」と言って岸田総理が責められるのでしょうか。

悪いことが起きたらその責任の所在を誰かに押し付けて、袋叩きにしがちなのは我々人間が共通で持っている性質だと思います。

でも。
そういうふうに誰かのことを悪者にしたところで、
事態が収束する訳ではないですよね。



さて、どうやって生き延びていったら良いものか、
慎重に考えないといけませんね。

コロナ感染に関してもそうだし、
この先、世界中の経済が停滞するのは火を見るよりも明らかです。
しかも地球温暖化の影響による異常気象が相次いでいて、
食料の値上げがこの先どんどん亢進するのも容易に想像できます。


見栄を張ったり、他者を威嚇している場合じゃない状況ですね。

好きなところ

私がプレゼントした腕時計です。
異性に時計をプレゼントする行為は、
「あなたの時間を束縛しますよ。」と言う意味らしいので、
よっぽど親しくなってからじゃないと重たいプレゼントなのだそうです。
ちなみに靴をプレゼントする行為は
「あなたの行動を束縛しますよ。」と言う意味らしいです。

じゃあ、お財布をプレゼントするのは
「あなたのお金を束縛しますよ。」と言う意味かな?(笑)

結婚してしまったので、
時間も行動もお金も、お互いがお互いに束縛し合う状況になってしまっているので
どうでもいいっちゃあどうでもいいですが(笑)。

お金も時間も行動も、ほぼ一緒に使っているので。

さて少し前にオットの腕時計のベルトが切れました。
オットの仕事にとって時間の管理はとても大事な事なので、
時計なしでは仕事は成り立ちません。

オットの職場ホテルの
お客様が出入りする入り口よりももう少し坂を下ったところに、従業員専用の通用門があるのですが、
そこの真ん前にセブンイレブンがあります。

そのセブンイレブンには、
ホテルマンにとっての必需品が結構しっかりと取り揃えられています。
ワイシャツとか、黒いソックスとか、腕時計とか。
ハンカチとかエチケット用品とかその他諸々。

そんなわけで、
大慌てでセブンイレブンで腕時計を買ってその場を凌いだのだそうです。
(時々洗濯したワイシャツを持っていくのを忘れて慌ててセブンで買うこともありました)

週末、高円寺の小ぶりなホームセンターに行って交換用の時計ベルトを探したのですが、
サイズの合うものが
クロコダイル風の型押しでしかも合皮でその上エナメル風のテラテラとした外見で
しかもお値段も安くておそらくすぐにペロンと剥がれてきそうな感じの佇まいで
「これはないわ。。。」とげんなりしてしまいました。

しょぼくれながらグーグル先生に
「高円寺 腕時計」と入力してみましたところ、
叶屋というお店がヒットしました。

グーグル先生の評価が満点の星5つで
ユーザーのレビューがものっすごく良かったので
「え〜そんなこともあるんだ〜。」と思い向かいました。

小綺麗な店内の奥に白髪のおじいちゃんがコーヒーを飲みながら時計のカタログを熱心にみていました。

私が入店したのに気づかないぐらいに熱心に。(笑)

私の存在に気がついておじいちゃんびっくりして
「わ!すみませんね。いらっしゃいませ!」

(笑)

「時計のベルト交換をお願いできますか?」
と言ってベルトの切れたオットの腕時計を見せました。
ベルトがね、一般的な男性用腕時計よりも少し細くて、
「男性用」としては品薄なサイズみたいでした。
これより細くなると一気に「女性用」になってしまうみたいでした。

そんなややこしいサイズ感の時計を選んだのは私なので、文句は言えませんね。

時計の盤自体は大きいのですが、
ベルトが細めで時計自体も薄めで、
オットの、色白で神経質そうな見た目と、仕事で着る黒服に似合うかな?と思ってチョイスしました。
そんなに高い時計ではないけど。

ドケチなので。(笑)

北欧のメーカーだった様に記憶しています。(間違ってたらすみません)

サイズの合うベルトを見せてもらい、
盤が黒いので黒のカーフ(仔牛)のベルトをチョイスしました。

ベルトを交換してもらっている間に、
「おかけになってお待ちくださいね。」
と言われたので、
ショーケースの前に並べられたヤコブセンみたいな椅子(本物なんじゃないかなあ?)に座って
ショーケースの中の商品を眺めながら待っていました。

「これいいなあ。」と思う腕時計があって、
しばらくそれを眺めていました。

するとおじいちゃん、
「かっこいいでしょ?」
と話しかけてくれました。
「良いですね。オットの時計、ガラスが傷ついてしまっているので、買い替えもありかなあ、と思っているんですが・・・。」
と言いましたら、
ベルト交換が済んだ時計を持ってきて
ルーペでガラスを見て、

「本当だ。傷ついていますね。結構深いですね。でもこれ、良い時計だから買い換えるの勿体無いですよ。ちょっとガラスを磨いてみましょう。」
と言ってクリーム状の何かしら(おそらくコンパウンド)で磨いてくれました。
傷が薄くなって、ガラス自体もピカピカになりました。

「良いガラスなのにこんなに深い傷が付くってことは、結構ハードなお仕事なんでしょうね。」
とにっこりして言ってくれたので、
「ホテルの宴会場とか婚礼の会場の担当なんです。」
と言いましたら、
「それでこの角度で傷がついているんですね〜。」と何やら納得しながらルーペを覗き込んでいました。

「ガラスの交換もできますので、もしまたさらに傷つくことがあったら言ってくださいね。」

と言ってくれました。

「記念の時計なんでしょうね。大事にしてあげてくださいね。」
とも言われました。



え、なんでわかるんだろう。
別に刻印とか一切してないのに。



そんなに高いものじゃないんだけどなあ・・・。
と思いながらも
値段が高いから良いもの、
値段が安かったら粗悪品、
と言う価値観はやっぱり違うものなんだろうなあ。とも思いました。

実際にオットにプレゼントした時計、
メンテナンス代が、購入した時のコストを超えています。

ベルト交換したり電池交換したりして
大事に使ってくれています。

本当にそんなに高いものではなかったのですが、
時間がずれることもほとんどないし、
筐体も薄いです。



餅は餅屋
時計は時計屋
ですね。

自分が取り扱う商品に対する愛情や興味、探究心って
本当にものすごく大事だな〜と思いました。
人生の大先輩の姿勢を見て学ばせてもらいました。

自分の店の商品を「こんなゴミみたいな。」と言って嫌な顔をするような店主がいたり、
他者に対して「ここがいけてない、あそこがいけてない」と言うことによって
相手の不安を煽って自分の利益を得る様なやり方をしている経営者もいたり
(不安定な今の世の中、この商法が意外と増えているかも・・・と思います。
みんなが漠然とした不安を抱えていますもんね。)

そんな雑多で雑音に溢れている世の中ですが、


磨いてくれたガラスを見て
「あ、光が増した。私の頭みたいにピカピカしてきたよ!」
と言ってにっこり笑ってくれた店主さんに対して
「いや、あなたの笑顔の方が眩しいよ。」
と思ってしまった私でした。

その笑顔に会いたくてまた理由をつけてお店に行ってしまいそうです・・・。
(この現象をたらしこまれたと言います)

ディープな街とかマニアックな街とかサブカルの街とか言われている高円寺ですが
このおじいちゃん店主さんみたいに、
自分の受け持ちの分野に関する愛情と探究心が深くて
他者と自身を比較して勝った負けたみたいなせめぎ合いをしない、
本当にマイペースで個性的な人がとっても多い街だな。と思います。

だから、居心地がいいんでしょうね。

沼にハマってきています。
高円寺沼。
居心地が良すぎます。この街。

また脅威

来年の1月頃には、また新規感染者数が1万人を超えるような大きな感染拡大の波がやってくる。
と感染症の専門家が言っていましたが、
国民感情的には「これだけ収束しかけているんだから、大丈夫でしょ。」という気持ちを持つ人が多かったかもしれないなあ。
と思っていました。

実際に「第6波なんて来ないと思いますよ。」と発言する人複数人に出会いました。

これだけ収束している状況が続いたら、そんなふうに感じるというか、
「ワクチン接種率も上がっているし、このまま収束するんじゃないの?」
と信じたくなりますよね。

でも餅は餅屋。

専門家が言ったことは、現実のものになりそうですね。

また自粛生活が始まるのかな。

一回緩んでからまた締め直すのって、なかなか大変ですよね。
でもね、やらなくちゃ。ですね。
自宅の近くの居酒屋さんまらの前で、時々フリーマーケットをやっています。
先月末の高円寺フェスの時、別の用事で出かけた際に通りがかりました。
で、
気に入ったものがあったので購入したのですが、
この手書きのプレートも気になって手に取りましたら
「おまけしてあげるよ。」と言ってくれました。

手書き感満点のプレートですが、存在感があってとても好きなので、
家の玄関側の窓枠に飾りました。
小さいプレートですが、
本当に古いものなせいか、すごく存在感があります。
GISHODOってなんだろう?と思いました。
調べてみたら、
何やら日本の時計文化にとても大きな貢献をした時計の技術を持つ会社らしいことがわかりました。
その時に気に入って購入したのが奇しくもSEIKOの古い目覚まし時計でした。
時計つながり。
昨日の記事に関して、たくさんのご意見、アドバイスをありがとうございました。
驚くことに、
全てのご意見に関して、
「マウントを取ったり人に恥をかかせようとする発言や行動をする人は確かに存在して、
自分の意思でその人を変えることはできないので、
自分の意思でその人を遠ざけるのがベストなチョイスなのでは?」

的なアドバイスが書かれていまして(すごく深い考察がたくさんありました)、
「そうか〜。」

と思いました。

同じ様な顔をして、同じ様な服装をして、同じ様な生活をしている様に見えても
それぞれの人の中にある感情とか価値観って、こうも違うものなんだな。
と思いました。

人を貶めることで自分の存在価値が高まったかの様にその一瞬は感じるかもしれませんが
自分は自分で、他人は他人で、
自分には自分のいいところがあるし、
他人には他人のいいところがあって、
それを「勝った負けた」というとても狭いテーブルにあげてどうこう判断するのは
ちょっとトンチンカンというか、次元の違う話ですよね。

ダヴィンチとアインシュタイン、どっちがすごい?
と聞かれてもどっちもすごい。
だし
ロートレックとバンクシーどっちがすごい?
と聞かれてもどっちもすごい。
になるし。

そこに勝敗を決める必要があるとは思えません。

自分の現状に満足していないという現実があるのなら、
それは自分自身の試練として捉えて、
それと向き合い、それを克服するための努力をする以外に、
その「不満足」を克服する方法ってないのかもしれませんね。

他者のせいにしたり他者を貶める様なことをして、
「自分は何も悪くないので努力する必要なんてない」
と捉えるのは自由だし、とても楽なことですが、
それでは自分自身が成長しませんよね。

それぞれがそれぞれの得意を持ち合って、
助け合うことで社会が成り立つのがおそらく理想的な社会の像なんだろうなと思っていて、だからこそ、いろんな人がいていろんな個性があると私は思っているのですが
そこに相手を貶めるという感覚があると、結局は自分自身の足を引っ張るというか、
自分自身の首を絞めるというか、
発展しないというか成長しないというか、
水面に落とされた雫の波紋が
広がらないでどこかに掻き消されてしまう様な気がします。

小学生の頃のバドミントン部の担当の先生が話していたことで
すごく印象的だった言葉があったのを思い出しました。

「お風呂に入った時に、自分が入った周りのお湯は自分の冷たい体温で温度が下がってしまう。
暖かいお湯を自分の方にかき集めようとすると、自分の周囲の冷めたお湯が自分に向かって流れてくる。
自分の周囲のお湯を放出するように手を動かすと、周りの暖かいお湯がどんどん流れ込んでくる。
欲しがる前にまずは与えることが大事だということは物理学的に証明されていることなんだよ。」
と。

体育の先生に物理を解かれる小学生。(笑)
客観的に考えたらちょっとシュールですね。




これからアドバイスをくださった方に、お返事を送ろうと思っていますよ。
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